感動はどこからやってくるのか。

ぼくが大学に入学した年のクリスマスの頃、友人に誘われて、震災に見舞われる直前の神戸の、どこかの大学のホールで開かれたコンサートに訪れた。行きつけないクラシックコンサートの席で、ぼくは少し落ち着かなかった。その会場で、バッハを専門に演奏する楽団のカウンターテナーとして米良さんが出演されていた。迫力のある歌も印象的だったけれど、小柄でどこか特徴的なお顔も妙に気になったことを覚えている。男性か女性かよくわからない印象だったのだ。それからしばらくして、ジブリの映画でこの方が急に有名になったとき、「あれ? この人、どっかで見たことあるなー?」としばらく考えて、あっ、あの時のカウンターテナーの人だ!と思い出すまで、結構な時間がかかった。有名になった人とすでに近距離で遭遇していたことに、ミーハー心がくすぐられた。もう30年近く前のことだ。上の動画で初めて知ったのだが、米良さんはぼくと3つしか年が違わなかった。ステージ上の米良さんは堂々としていて、歌も迫力があって、まさかたった3歳上の人だなんて思いもよらなかった。

なんとはなしに上の動画を倍速で流し見てたら、最後の方の、地元でヨイトマケの唄を歌えたというエピソードで鳥肌が立ち、胸がこみ上げるような感動がやってきた。この米良さん、一般には有名アニメの主題歌を歌った方として有名だと思う。ただ、小学校にあがるときから高校まで、先天性の骨が折れやすくなる病気のため、その大半の期間を養護学校(いまは支援学校というのかな?)で過ごしたとか、ご両親は林業、それから土木と一貫して肉体労働を続けてこられた方々で、米良さんご本人が幼い頃から音楽の英才教育を受けておられたわけではなかったことなど、知らないエピソードがいくつもあった。まるで天国と地獄を行ったり来たりしているような、激しい人生に思えた。

動画を見ていたときの自分の中に唐突に立ち上がった感動。なんでそのような感情が生じたのか、正確には言葉で説明しにくい。ただ、いままで何度もこのように唐突な、胸のこみあげるような感動には出遭っていて、それはきっと愛に関する感情なのだと、そう自分では理解している。普段、赦しとか癒しかを地味に取り組んでいても、いったいそれがいつまで続くのか、ほんとに「愛」に近づいているのか心もとなくなることがある。でもこういう体験が時々もたらされるとき、ああ、そうか、きっとこういうことだ、と方向感覚を取り戻すような気持ちになるのだ。米良さんが、長く苦しい期間を経て、故郷で報われたような、これでよかったのだと肯定されたような、そして親御さんとつながれたような、ひとつひとつ言葉にすると何かが的外れになっていく気はするけれど、ひとが歩んできた道のりが、ある時、一気に報われ、輝くような瞬間に昇華されたりするのだ。そのような輝きに触れると、有無を言わさぬ感動に包まれ、それはきっと愛に関するなにかに違いないと、そう思わずにはいられないのだ。

『 愛は学ばれるものではない。その意味はそれ自体の中にある。そして学びが終わるのは、愛ではないすべてのものをあなたが認識したときである。それらが妨げであり、取り消されなければならないものである。愛は学ばれるものではない。なぜなら、あなたが愛を知らなかったときなど一度もないからである。(奇跡講座テキストP519、12段落)』

奇跡講座にはこう書かれているけれど、いまこのブログの題名は「愛を学ぶ」となっている。というのも、赦しの実践の道すがら、「愛ではないもの」ばかり注視していたら、それが永遠に終わらない気がして心が折れそうになり、それでも自分を励まし、日々の実践をもっと明るい気分で継続できるように、あえて愛と思えるものにフォーカスしてみようと思ったのだった。だから、上の動画を見た時にもたらされたような感動は、ぼくが実践を続ける上での、ある種の目印でもあり、励ましにもなっているのだった。