生きる力

マイティさんはシベリア抑留の引揚げ者、外地からの帰還者について、ひとかたならぬ思い入れを抱えていて、だから毎年、舞鶴にある引揚記念館に連れていかれる。当然、こんな映画が公開されれば観に行かないわけにはいかず、鑑賞してきました。

https://lageri-movie.jp/

よい映画だったと思う。ハリウッドに比べれば低予算のはずの日本映画で、映像的に説得力を持たせるのは難しい面があるにも関わらず、そこに込められたテーマが胸に迫ってくるだけの描写は十分になされていたと思う。

母国で待つ妻が空襲で亡くなったと知って、極限的なラーゲリのなかでいつ解放されるかもわからないまま生き続けることにすっかり意味を見失ってしまった相沢に、主人公の山本は「生きろ!」と叫び、相沢の自暴自棄を引き留め、生の方向へと翻意させる。ひとを生の方向に向かわせる力は、十分に愛であり、奇跡だと思う。ぼくがこの映画でもっとも印象深かったのは、このシーンだった。

蒼い本を語ったゲイリーさんの本で、ぼくが当初、強い印象を受けたのは「世界は幻想、肉体ですら執着するに値しない幻想の一部」という点だった。それはもともとぼくが持っていた虚無感、厭世観を肯定してくれたような気がした。理不尽なこの世界で生き続けることに必死になる必要などない、という解釈をぼくがしてしまうのは自然な流れだった。ゲイリーさんがそんなことをほんとに言ったかどうかはともかく、ぼくはそう受け取ってしまった。実際、自我で生きる人生はいずれ絶望に逢着する。けれど、この映画で描かれたような、極限的な状況でなお生に向かおうとする意志、想い、極限的な状況を共有する者たちが励まし合い、生を選び続けようとする姿には確かに真実があったと思うし、蒼い本でいう愛、奇跡の光が発現しているように思えた。ラーゲリを生き抜いた方々に、「世界は幻想なのに、その幻想に執着した、無為な努力だった」などと言えるとしたら、それは真実を取り違えている。そうぼくの直観は訴える。

世界は幻想かもしれないし、肉体は無かもしれないが、それで蒼い本を学んでいたって、肉体が続くかぎり、生き続けなければならない。生きることじたいに虚無的になって、自暴自棄になって、世界を拒絶して、蒼い本の幻影に耽溺し続ける姿に、愛も奇跡もないと思う。幻想かもしれない世界にどんな姿勢で向き合い続け、この世界と共に生きている他者とどう関わるか、その「姿勢」こそに、愛が発現するか、奇跡がもたらされるかがかかっている、そう思う。もし、幻想のなかであっても、愛にかなう生き方ができたとしたら、それは感動と確信をもって、自分自身で自明なほど明らかにそれがわかる、ぼくはそう思う。奇跡はそれが起こったら、とても明らかなものだ。確かな感動と共に、これは正しい、これが自分の歩むべき道だと、そう思えてしまうからだ。