山奥で気づいたこと

昨年書いた山奥ニートの記事。あの後も彼らはテレビで何度か取材され、ドキュメンタリーが作られて放映されていた。ある番組が放映したものはその編集のせいもあってか、ネットで炎上していたりもした。昨年の初め頃、ぼくは山奥ニートという存在に目が離せなくなって、その春には実際に山奥ニートのおひとりに車を運転して会いに行った。基本的には出不精のぼくがほぼ丸一日車を運転してまで気になってしまう、それだけ突き動かされたのは、やはり彼らの労働に対するスタンス、そして、ひととのつながり方に衝撃を受けて、直接に彼らの在り方を感じてみたかったからだと思う。

ネットや本の情報を見ているのと、実際に現地に身を置いて感じてみるのとでは、やはりそこで想うことに違いは出る。ぼくがひきこもっていた20代にもしあの山奥ニートのような生き方があると知ったら、ほんの少し気休めにはなったかもしれないが、実際にそこに行こうとは思わなかっただろうし、実際に行ったとしてもたぶん1か月ほどで落ち着かなくなっただろう、ということが現地に行ってみることで、初めてリアルに想像できた。20代のぼくはいまよりもずっと重篤に「生きる意味」という幻影を追い求めていたし、いまよりずっと具体的な世界・いまここという日常にピントが合っていなかった。だから仮に山奥ニートが住むシェアハウスという環境が与えられたとしても、ひきこもりという羞恥心・劣等感・罪悪感が少し薄らぎ慰められることはあっても、そこにとどまり続けることはできなかっただろうし、とどまる自分を肯定することもできなかっただろう。こんなところでこんなことしている場合じゃない!と、無駄に肥大して収まりのつかないプライドと、理由も曖昧な焦燥感に急き立てられて山奥を早々に去ってしまっただろう。じゃあ、どこでどんなことしていればいいんだ?というのはいつも漠然としたまま、具体的になることなどないのだが。

あの山奥ニートの住むシェアハウスの初期メンバーで、山奥ニートに関する本まで出している男性が、シェアハウスにやってきて最初の頃にやったのは、ネットの動画であのシェアハウスに一緒に住みませんか?と不特定多数の視聴者に誘いかけることだった。それは集まって住むほどに生活コストが下がるとか、山奥をひとの集まる都会にするとか、色々アイデアがあったみたいだけれど、ぼくには絶対にできない振る舞いだったんだなと、現地に行ってみて初めて気づいた。ぼくは「生きる意味」に執着しながら、働けない自分をひどく恥じていたし、想像上の他人の視線を通じて劣等感やら罪悪感やらを激しく感じて身動きが取れなくなっていた。そんな自分をネットでさらけ出して、自分のところに集って一緒に住まない?なんて、そもそも思いつくことすらあり得ない振る舞いだ。彼はあの場所に落ち着けて、ぼくは落ち着けない。その違いがはっきり見えた。

ひきこもりやニートの一番切実な問題は一見、生活費の調達、生存の維持方法に思えるけれど、いまここに生きている自分の在り方を肯定、受容でき、そこに落ち着けるかどうかは、まったく次元の違う問題だ。

いまぼくはとりあえず働いていて、マイティさんと所帯をもっているのに、ずっとぼくはこのひきこもり・ニートのテーマにこだわり続けている。そろそろ観念して受け入れる頃なのかもしれない。このテーマは、平均寿命の半分以上生きてしまったぼくが残りの人生もずっと考え続け、こだわり続けることになるかもしれないテーマだということを。もはや奇跡講座は関係あるのかどうかわからない。ただ、愛に関することではあると思ってる。

(今年5月27日以降に書いた5本の記事は、ほぼ一度に書き上げて、最初の投稿以外は予約投稿で順次公開したものなので、これ以降はもう予約投稿している記事はなく、従来通り、また次の投稿は1年かそれ以上先になるかもしれないし、意外とまたすぐ投稿するか、それはわかりません。今回、なんで急に記事を書く気になったんだろう・・?)