ひとつ防衛がはがれると

社会事象を観念的に把握する、想定する、というのは一見もっともらしく、知的な営みのように思えて、実際はそれが自己防衛となっており、素朴な見方をすれば、自分が当然直面しないといけないだろう事柄を回避し続ける口実を生み出すだけの営みとなっている。もちろん、そんな自覚は当人にはないのだが。自分は物事をより客観的に冷静に見よう、全体的に把握しようと思っているだけだから。でも、その「知的把握」のなかで、いつも自分個人、自分自身の肉体存在だけがすっぽりと除外されている。まるで自分自身だけは超越的な傍観者、俯瞰する能力をもった視点だと信じて疑っていないかのよう。でも、具体的で日常的な雑事や責任や、身近な特定の人間との関わりに向き合うよう迫られると、途端に取り乱し、あったはずの客観的で冷静な視点も吹き飛んでしまう。そのときあふれ出てくる感情、フィーリングこそ直面したくなかったものであり、感じないように、触れないように警戒し、防衛していたかったものだ。外界の事象や関係性はいつもトリガーにすぎない。これらのことは、奇跡講座のワークブックレッスン135に指摘されているようなことだと思う。「防衛しない」ことが、自分が得意だと信じていた営みを一端、脇に置くことだとなると、そう簡単に実行できなくなってしまう。どれだけ自分が「防衛」にしがみついていたかが露わになり、抵抗の激しさに自分で驚く。

赦しや内観についてマイティさんとの共同作業が始まったころ、自分が「客観的、現実的」認識だと信じていたことがただの硬直した思い込みに過ぎなかったとはっきりしたとき、何も考えられない放心状態に陥ったことが何度かあった。当時のぼくは、まだ世の中にある企業の7、8割がブラック企業に思えていて、徹底的に搾取され、滅私奉公を求められると、そんなふうに信じていたところがあった。そう信じるに至った思考プロセスを丁寧にマイティさんとたどっていくなかで、知覚が歪んでいる、偏向のかかっている思い込みの部分を、マイティさんは見逃すことなく指摘してきた。ぼくとマイティさんのキャラクターがあまりに違い、歩んできた道のりも違ったからこそ可能だったのだと思うが、ぼくが客観的、現実的だと信じていた認識は、マイティさんにはまったく非現実的な思い込みにしか受け取れなかったのだと思う。

「チャクラ」というトピックがスピリチュアル界隈には存在する。身体には7つだか8つだかのチャクラがあって、各チャクラが、人間の能力や性質を規定しているみたいなお話。活性化しているチャクラもあれば、不活性なチャクラもあるらしい。もう何年も前にマイティさんと出かけているときに、二人で撮った写真を見ていて興味深かったことがある。ぼくは思考センター過剰の人間で、マイティさんは行動センター過剰の人間という前提なのだが、その時の写真を見てみると、ぼくは顔のあたりが「密度」が濃く、下半身あたりは存在感が希薄で、マイティさんは下半身がまるで大きな木が根をおろしているようにどっしりと密度が高い、そういう印象を受けるのだった。別に、霊的な視覚で写真を透視したのではなく、ごくふつうの肉眼で、おそらく誰が見ても、この人は頭の辺りに意識が集中していて存在感があるけど、下半身はまるで希薄で、頼りないと感じられたり、マイティさんの体型はこじんまりとしたものだけれど、となりにいるぼくと比べれば、明らかに腰から下の存在感が濃厚にある。それが写真にちゃんと映りこむのが興味深かった。

過剰なセンターというのは、別の不活性なセンターをかばうように過剰になってしまうようだ。ぼくの場合、それは行動に関するセンター、チャクラでいえば腰から下にあるもの。マイティさんは行動センターが過剰であることで、感情のセンターをなにかしらの理由でかばっている、あるいは触れないようにしているふしがあった。赦しのプロセスでは、そのかばっている部位のフィーリングが露わになっていくのが常だった。触れないようにしているものが露わになるのだから、当然、動揺するし、取り乱す。そのような赦しを何度も何度も繰り返しているうちに、かばっていたものをかばう必要がなくなり、過剰なセンターは過剰である必要がなくなり、バランスが取れていったのかもしれない。それと並行して自分の知覚が訂正され、見えている世界が変われば、世界と自分との関わり方も変わり、行動の仕方も変わっていった。そうやって今に至っており、当然今後もそのような変容は続いていくのだと思う。

そんな日々のあとに、ぼくはなぜかふと思いついて何百キロも遠くへと、苦手だったはずの車でドライブして、それを楽しいと感じるようになったりもした。あまりに素朴で日常的な変化だけれど、ぼくのなかでは、まるで人格が入れ替わったかのように、自分じゃないかのように思える変化だったりするのだ。赦しって、なんか不思議だ。