祈り言葉

赦しを続けていくと、必然的に祈らざるを得なくなり、赦しと祈りは合流し、融合していく。だから祈りは赦しに欠かせないのだが、祈る際に、祈りの言葉があると赦しがより効果的に進むと感じることがある。蒼い本のワークブックにも祈りの言葉はたくさんあるのだが、わたしが近頃使うのは、ホ・オポノポノで用いられる「ごめんなさい、ゆるしてください、ありがとう、あいしています」だ。これは果たして祈り言葉と言えるのかどうか微妙だが、でも効果は実感できる。

ずいぶん前、ホ・オポノポノの概説書を読んだ時は、4つの祈り言葉を唱えてクリーニングすれば、ストレスも解消されて、物事がスムーズに展開するようになる、といった内容として理解していた。どちらかといえば願望実現寄りのメソッドなのかと思っていた。ところが最近、祈り言葉として4つの言葉を使うと、赦す上でなかなか具合がいいなと思って、改めてホ・オポノポノの概説書を読み直すと、以前思っていたよりもずっと蒼い本に近い理論だったんだと認識を改めた。


(日本語字幕あり)

これはホ・オポノポノを教えているヒューレン博士のインタビュー。このインタビューを見ていたら、ヒューレン博士がどのような姿勢でホ・オポノポノに取り組んでいるかがわかって、やはりホ・オポノポノは蒼い本に近い思想をもっていたんだと確認した。クリーニングすることが自分の役割であり、生きてここにいる意味、とまで言い切る博士は、蒼い本でいうなら「神の教師の唯一の責任は贖罪である」と言っているのと同じであり、祈りの人として、祈る存在として自分を位置づけておられるように思えた。ホ・オポノポノの本は何冊も売りだされており、売り込みの都合上、一見、願望実現メソッドのような成果にスポットライトを当てた編集がなされがちだが、この動画のヒューレン博士のお話を聞いていると、どうもそんな姿勢でホ・オポノポノに臨んでいるわけじゃないことは明らかだ。ちなみにこの動画の序盤は、ヒューレン博士が微妙に感じ悪いというか、少し意地悪な感じの態度に思えて、インタビュアーの方が困惑しているようにも見えるのだが、ホ・オポノポノについての理解を正確に表したいという想いがそうさせているのだと、そう理解したらいいのだと思う(笑)。

ヒューレン博士といえば、行きがかり上、州立病院の、重罪犯で精神的錯乱の見られる囚人患者を収容する特別病棟に勤務することになったところ、患者を直接診察することなく、患者の名簿に対してひたすらホ・オポノポノし続けた結果、患者がしだいに大人しくなり、退院率が向上して、最終的にその特別病棟が不要になって閉鎖されてしまったというエピソードが有名だ。しかし、ヒューレン博士は、患者を治療する目的でホ・オポノポノしていたわけではない。これはホ・オポノポノの理論を背景にしないと正確には理解できないことだが、蒼い本でいうなら博士のやっていたことは赦しであり、知覚の訂正であり、原因レベルで心を癒していた、と説明できるだろう。望む方向へと結果を変化させることが目的でないことはホ・オポノポノも蒼い本も同じであるが、この世界において我々ができる真の貢献があるとすれば、それはやはり原因レベルでの祈り、癒しだといえるのかもしれない。

ところでゲーリー・レナードさんの本で、ホ・オポノポノの「ごめんなさい」の文句はいただけないな、とアーテンが話すくだりがあった。それはおそらく、罪悪感を強化するかもしれない懸念からだと理解したが、自分自身を振り返ってみると、自分がひとに迷惑をかけてしまって心苦しいとき、ごめんなさいと言って、それを受け入れてもらえることは肩の荷が下りる感じがするもので、必ずしも一概に「ごめんなさい」という言葉がまずいわけではないんじゃないかなと思っていた。

「ごめんなさい」という言葉は日本語ではひとに謝罪するときにしか使われないが、英語で I’m sorry はもう少し用途が広い。たとえば、友人が病気になったり、友人の親が急に亡くなったりした時に、友人に対して「まあ、それはお気の毒に」と相手を思いやる言葉として I’m sorry と言ったりする。わたしもどうしてこういう使い分けがなされるのか深く考えたことがなかったのだが、ここのベストアンサーを読んだ時に、なるほどねと合点がいった。I’m sorry のニュアンスがわかると、日本語の「ごめんなさい」だけではわからなかったホ・オポノポノの意図も理解できる。ただ、ゲイリーさんの本で出てくるアーテンは英語でしゃべってるはずなので、そこのところも踏まえた上で「ごめんなさい」という言葉の使用を懸念していたのだろう。ただ、ホ・オポノポノでは4つの言葉すべてを使うべきとは主張してはおらず、ありがとう、あいしています、だけでも効果はあると説明していたと思う。

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