宗教自我

蒼い本みたいなハードコアな本にのめりこんでるくせに、わたしは根が宗教的な人間ではなかったと思う。神、天国、覚醒、悟りといったある種の「超越性」が、いつまで経ってもピンとこないのだ。聖霊というものを信頼するのにもものすごい抵抗があったし、祈りが意味のあるものだと感じられるまでかなり長い時間がかかった。目で見て手で触れられるものじゃないと、どうしても画に描いた餅にしか思えない。それはわたしが地に足ついてる人間だからというわけでなく、ひどく疑い深く臆病な人間だからだと思う。そういう人間は、いったん自分が直接的に鮮やかな体験や確信をもってしまうと、どどーっとのめりこんでしまう危うさもあって、そのせいで蒼い本とのつきあいが足かけ10年にもなってしまったところはある。けれどやっぱり、無意識のうちに着地点にしていたのは神や天国ではなく、あくまで現世、世俗だった。

前世とか輪廻の話に自分でも一定のリアリティを感じている一方で、「輪廻の輪から解脱したい」「もう転生を繰り返したくない」などという、抽象的な願望をもつ人たちが実在することを、奇異なものを見るような目で見ていた。転生も輪廻もあくまで役に立つ「お話」であっても、それをまるっきり事実とみなした上に、そこから卒業、解脱したいなんて、正直、そんな抽象的な願望、雲をつかむような話にしか思えなくて、遠巻きに見ているしかなかった。もともとわたしにとって蒼い本は、赦しを使ってストレスを解消したり、自分の恐れからくる強固でどうしても拭いがたい思考パターンをなんとか手放して、そこそこ意欲的に一生を過ごせていけたらいい、そのために役立てるツールでしかなかった。

ところが、根が最初から宗教的な人っているんだ、と認識を改めざるを得なくなった。認識を改める以前は、宗教的な人たちのことを頭が弱くて、心も弱い人で、現実逃避する口実や、自分の居場所を宗教組織に求めている哀れな人たちだと思ってた(失敬)。だって、神さまとか聖霊とか天使とかをいきなり鵜呑みにしちゃえる感性ってどうなのよ、って話で。脳内お花畑でしょ、それ。・・・と、わりと辛辣なことを思ってた。そのような辛辣な見方も、部分的には的を射ていると思える一方で、しかし、人生の目標とか自己実現の対象として、最初から神や解脱のような「超越性」を求めてしまう、そういう心根をもった人が一定数いるのだと、そう認識を改めるようになった。そのような人たちとわたし自身との間に、ある共通点を発見してしまったことも大きい。わたしは根が宗教的な人間ではなかったかもしれないが、恐れにつきあげられた「狂信性」は、密かに抱えている人間だった。ただ、その狂信性が向かう対象が違っただけだ。「神」という名の偶像に向かわず、人々の生存、生活を大きく左右する「組織」や「国家」という偶像、とりわけ組織・共同体維持のために正当化された「大義」というものに、わたしの狂信性は向かいがちなのだ。このブログに戦争ネタが多かったのもそのせいだ。

こんなふうに書くと、根が宗教的な人はすべからく狂信性を抱えているみたいに聞こえるかもしれない。真の宗教性というものはあるかもしれないが、まだわたしには確信がもてていない。そして、根が宗教的な人たちは、その自我の傾向ゆえに、真の宗教性と、偶像としての「神」「天国」を求めてしまう狂信性の狭間を、揺らぎながら生きている人たちだと思う。紙一重なのだ。

先日、Amazonのキンドルアンリミテッドというサービスを手違いで登録してしまった。仕方ないので1ヶ月だけ利用することにして、手短に読めそうな本はないかと物色してたところ、若いころにカルト宗教にのめりこんで10年、あるいは20年近くそこに所属していたが、最終的に脱会した経験を綴った手記を二つほど読ませてもらった。どちらも50ページもない本で、20分か30分くらいで読めてしまう短い本なのだが、とても興味深く読むことができた(その1その2)。

カルト宗教というと地下鉄に毒ガスをまいた集団が思い出されがちだが、カルト宗教組織はあれだけではないし、カルト宗教がすべて犯罪組織化して、反社会的・国家転覆的行動を企むわけではない。ただカルト宗教は組織運営の手法として、やはりマインドコントロールの方法論を密かに導入しているもので、人間の自己実現欲求や生き甲斐、ひとが居場所を求める気持ちを巧妙に利用し、宗教的な装いをまとった脅迫を陰に陽につきつけることで思考停止状態に陥れ、収奪、搾取し続けるのは共通している。

先に紹介した手記を著された男性の方のお話には、インターネット時代になって、自らが所属する組織への批判が掲示板などにあふれるようになったのでその対策をしろと命じられたことがあり、組織への批判を検証しているうちに、マインドコントロールだという批判があるのでそれに反論しようと、まずマインドコントロールの本を読んで研究し、いかに自分たちの組織がマインドコントロール「していないか」という反論を準備していたら、自分が若いころから組織によって施されていた教育はまさにマインドコントロールだったと気づいてしまい、それが脱会の機会になったという、幸運なんだか冗談なんだか、笑うに笑えない話が載せられていた。(つづく)

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