前哨基地

戦争ドキュメンタリーを観た。予告宣伝動画は「いかにも戦争!戦場!」という編集がされているが、実際の映画のほうは、淡々と兵士たちの日常を撮っているだけなので、切迫した戦闘場面だけでなく、退屈でぐだーっとしていたり、兵士どうしが荒っぽくじゃれあってる風景もあるし、地域住民との話し合い、基地設営の土木作業など、直接の戦闘以外の「お仕事」の様子も淡々と描かれている。また、映像に出てくる兵士が帰還した後に行われたインタビューも随所にはさみ込まれており、兵士が当時、何を考え、感じていたかもよくわかる構成だった。

わたしにとって特に印象的だったのは、20歳から35歳くらいまでだろう若い兵士たちが「勇気とは何か?」とたずねられて、「仲間を助けるために命を張れることだ」と自然と答えるシーンだった。それが本心からのものであることが表情から伝わってきて、ぐっときた。

わたしの自我がなぜか戦争に過度の感情移入をするせいで、カルマの解消、赦しの課題として戦争という現象をいろんな側面から眺めてきたが、このドキュメンタリーを見て感じたのは、若い兵士たちの魂は、まさに戦場でしか学べないことを学んでいる、というポジティブな側面についてだった。戦争に関するわたしの赦し、癒しは、ネガティブな感情に関してのものが大半だった。そのせいか、兵士だったからこそ学べた価値のあることを、ことさら意識してはこなかった。わたしがほんとに兵士だった前世があるのかどうかなんて実際にはわからないけれど、ドキュメンタリーの中の若い兵士が口にする価値観は、わたしが心底共感できるものであり、それを自分も大切にしたいと普段から自然に思っていることだった。戦争に関する映画を観ていて、全面的にポジティブな捉え方をしている自分がいることはおそらく初めてで、新鮮なことだった。

アメリカのアフガニスタン駐留には大局的、政治的な見地から色々批判はあるが、前線で戦う兵士たちが体験し、学ぶのはそういうことではない。敵を殺して大喜びする兵士たちを「分離感が強い」と揶揄することは確かにできるかもしれない。けれどそんな分離感が強くても、戦場という環境では、仲間を信頼して協力しないかぎり、自分たち全員の命が危うくなってしまう。仲間を助けるために命を張れることを勇気だと断言する、そういう価値観もまた兵士は身につけていくのだ。戦友同士が培う一種独特の絆というものは、まさに生命がかかった戦場でしか得られないものだろう。不思議に聞こえるかも知れないが、兵士は時に敵に対してさえ、恐怖だけではなく敬意のようなものを感じることがあるのだ。それはまるで、ただの荒くれ者だった人間が武道を学ぶことで、信じられないほど強い人間がいるのを目の当たりにし、自分も更に強くなりたいと努力するうちに、必死で努力した自分になお拮抗してくる相手、努力してもどうしても勝てない相手の存在につきあたり、自然と敬意を感じてしまう、そんな感性が育まれるのと少し似ている。

戦争は起こらないに越したことはない。志願し、職業として兵士を選んだ人と、徴兵されて仕方なく戦場にひきずられていった人ではまた別の体験をするかもしれない。戦争が残していく負の遺産は膨大で、長く人の心を蝕むものだ。しかし、一見否定的、悲劇的な現象の渦中にあっても、永遠の時間という観点で見れば、魂はひとつひとつ感じ、考え、学んでいるのだということを再認識できた。もしかしたら学んでいるのではなくて、「思い出している」のかもしれないが。

「敵」の実在性を信じて殺意をたぎらせ、それと同時に、仲間とのかけがえのない絆を育み、そしてその仲間を戦闘で喪う体験を続けるうちに、なにか割り切れない想いや違和感を抱き、信じた価値の限界につきあたって更なる愛を模索する時、兵士は戦場をあとにしてまた新しい体験、転生へと旅立つのかもしれない。気の遠くなるような時間を繰り返し生きて体験するうちに、ひとは愛と、愛でないものを判別する感性、知性、叡智を少しずつ回復していくのだと思う。そのすべてが一瞬の夢だったと悟る時まで。

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