罪と祝福

直近二本の記事で書いたことのポイントは次の二点。

① 他人に見て、感じて、考えていることは、潜在意識下では自分に言ってることになる。他人に罪を見ているなら、自分が罪ある存在だと自分に言い聞かせていることになる。

② 世界が実在しているなら、罪がリアルになるのは避けられない。罪が完全に赦されるためには、世界が存在していない必要がある。世界が存在していないなら、罪も実在していない。

ところで蒼い本における「罪」には、いくつか定義の仕方がある。罪を愛の欠如と定義するのもそのひとつ。ちょっと言い方を変えてみると、わたしたちは誰かに罪があると見ている時、その人は愛するに値しない人だと思う。だから裁いてもいいし、攻撃してもいい=罰してもいいと思う。更に踏み込めば、罪のある人は生きるに値しない人で、死んでもいい人、死ねばいいと思ってる人だ。

犯罪死刑囚のことを「死ねばいい」と思うのは割合自然なことだと、統計が表してる。なぜなら、死ぬに値するに相応の罪を犯したことが立証されたからだ。つまり罪( Sin )がある人だと公式認定された=有罪判定された( guilty )ということ。死刑囚が愛に値すると思えるのは近親者か、相当に信心深い人だろう。他人に罪があると思うとき、その人を愛するのはむずかしい、その人が愛に値すると認めるのはむずかしい。

極端に単純化して言うなら、人のことを愛に値しない存在だと思う時、死ねばいい、そう思っていることになる。別に相手が死刑囚じゃなくても、心のなかで「死ねばいいのに」と誰かに対して思ってしまうことは、とりたてて特別なことではないだろう。しかし、①で述べたように、他人に対して「死ねばいい」と思っている時、潜在意識下では、自分に対して「死ねばいい」と言っていることになる。愛に値しない存在だから生きてる価値もない、だから死ねばいい、そう「自分に対して」言い聞かせていることになる。

ここに②の観点を加えてみる。
世界が実在しているなら、罪がリアルになるのは避けられない。
世界が実在しているなら、完全に赦すことは不可能である。
世界が実在しているなら、愛に値しない者が存在してしまうことは避けられない。
世界が実在しているなら、他人に対して=自分に対して、完全に愛に値する存在だと認めることは、不可能になる。
世界が実在しているなら、「死ねばいいのに」という想いを完全に放棄することは不可能である。
世界が実在しているなら、わたしたちは裁くことを完全にやめることはできない。
・・・連想的にこのくらいのことは言えるだろう。

蒼い本によるならば、世界が実在しないことと、他人=自分が完全に愛に値する存在だと認めることは、同時並行的に成立しなければならないと結論できるはずだ。罪を立証するために、裁き続けるために、死ねばいいと言い続けるために、愛に値しない存在は確かにいるのだと主張し続けるために、この世界は作り出されたと言えるからだ。

愛に値する存在だと認めるとは、言い方を変えれば「祝福する」ということだと思う。わたしたちは他人=自分を完全に祝福することで、世界の非実在性を見出すことができるはずだ。

『 兄弟が正気でない行動をするとき、彼はあなたに、彼を祝福する機会を差し出している。彼の必要はあなたの必要である。あなたが彼に差し出せる祝福を、あなた自身が必要としている。それを与えること以外に、あなたがそれを所有する方法はない。これはの法則であり、そこに例外はない。あなたが拒否するものとは、あなたに欠けているものである。それ自体が欠落しているからではなく、あなたがそれを他者の中に認めるのを拒んだために、あなた自身の中にそれを自覚しないからである。あなたの応答の一つひとつは、あなたが自分を何であると考えるかによって決まり、あなたがなりたいものは、あなたが自分だと考えるものと同じである。だとすれば、あなたが何になりたいと思うかが、必ずあなたの応答の一つひとつを決定することになる。
 あなたはの祝福を必要としているのではない。なぜなら、それは永遠にあなたのものだからである。しかし、あなたは自分自身からの祝福は必要としている。自我が描き出すあなたの姿は、困窮し、愛がなく、傷つきやすいものである。あなたはこのようなものを愛することはできない。だが、この自分像(イメージ)は、それを後にして立ち去ることで、簡単に免れられる。あなたはそこに存在せず、それはあなたではない。このような姿を誰の中にも見てはならない。もしそれを誰かの中に見るなら、あなたはそれをあなた自身として受け入れたことになる。一なる子についての幻想はすべて一度に作り出されたので、一度に一掃される。誰に対しても、その人はあなた自身がなりたくないような存在だと、教えてはならない。知覚が続いている間は、あなたの兄弟は、あなたに自分自身の姿(イメージ)を映し出してくれる鏡である。そして、知覚は、一なる子が自らを全一なるものとして知るときまで続いていく。あなたが知覚を作り出したのであり、それはあなたがそれを望んでいる間は続いていかざるを得ない。(奇跡講座テキスト P184 第2~3段落 )』

 
『 栄誉に値する者たちとして神ご自身が創造し、尊ぶ者たちには、栄誉のみが、ふさわしい贈り物である。が常に賞美する彼らを、あなたも賞美しなさい。彼らは、の愛する子らであり、に嘉(よみ)されているからである。あなたはから離れていないので、彼らから離れることはできない。の中で安息し、愛することによってあなたの安息を守りなさい。ただに創造された一切を愛しなさい。あなたはその一部なのである。それを愛さないなら、あなたはの平安を学べず、の贈り物を自分自身のために、自分自身として受け入れることができない。あなたと同じように創造された者たち全員を尊ぶまでは、あなたは自分自身の完全無欠性を知ることができない。(奇跡講座テキスト P185 第6段落)』

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