歴史

「帰ってきたヒトラー」を読んだのをきっかけに、ヒトラーが躍進し、最終的に破滅するその前後のヨーロッパの歴史を眺めている。日本の20世紀前半の歴史には興味があったが、ヨーロッパ、とりわけドイツには興味が無かったので、いま頃になってなんだろうと自分でも不思議な気分。興味はナチス、ヒトラーから、新年に入ってホロコーストに移ってきている。気の重い年末年始である。年に一度か二度、血生臭く、気の重くなるような映画を観ては、そこから赦しのテーマを抽出し、赦しをする羽目になっている。今回もまたそのようだ。

ひとはみな自分の意志で生きているつもりでいても、あらがえない大きな歴史の渦に飲み込まれ、翻弄されているようなところがある。20世紀もまた、野蛮で暴力的な時代だった。人がモノのように扱われ、理不尽に、無感情に、数えきれない人が殺されていった。ホロコースト、ユダヤ人虐殺の歴史を映画で観ながら、そこから何を見出せというのだろうと、自分の内側を見つめている。なにを見出せばいいのかわからないまま、気の重い映画をいくつも観て、いま自分の取りくむべきことを見極めようとしている。

『 あなたは自分で作り出した世界を見ているが、自分をそうした形象の作者としては見ていない。あなたは世界自体から救われることはできないが、世界の原因から逃れることはできる。これが救済が意味していることである。あなたが見ている世界の原因が消え去ったとき、その世界がどこに存在するというのだろう。今あなたが見ていると思っているすべてのものと入れ替わるものを、心眼(ヴィジョン)がすでに保持している。麗しい光があなたの形象を照らすことができ、憎悪から作られた形象であっても、あなたが愛せるものに変容させてくれる。その時には、あなたは自分ひとりでそれらを作り出すのではないからである。(奇跡講座 ワークブック編 P65 )』

「世界の原因」を見出さずにいれば、もはや世界自体から救われることもないまま翻弄されるばかりかもしれない。ちなみにこのレッスン23の表題は、『攻撃的な考えを放棄することで、私は自分の見ている世界から脱出できる。』だ。戦争の時代に攻撃的な考えを放棄するのはとても難しそうだ。今、映画を観て、じっくり赦しに取り組んでいられる自分は、ものすごく幸運なんだと思う。

戦争の時代に起こることには、自我の縮図、核心が在ると言えるかもしれない。人はいつの時代も必死で生きているが、戦争の時代は特にそうならざるを得ず、多くのひとは自分が生き延びるだけで精一杯になり、取り繕う余裕もなくなる。そうなるほど、ひとはそれぞれその本性を露呈させていく。すると、自我の実体が見えやすくなるのだ。

『 自我はあなたが生きる間はあなたをしっかりと苦しめるが、その苦しみはあなたが死ぬまで満足することはない。というのも、あなたを破壊することが、自我が努力して達成しようとしている唯一の目的であり、自我が満足する唯一の目的だからである。(奇跡講座テキスト P318)』

今日は「戦場のピアニスト」を観た。ホロコーストを生き延びた実在の人物の体験を映画化した作品。

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