目は口ほどに

不意にマイティさんが、わたしたちの写真を持ちだしてきた。6年ほど前、おつきあいを始めた頃に撮った写真から、ごく最近に撮った写真までを並べて比較し始める。「わたしたち、変わったね~」、そんなことをつぶやいては二人してため息をつく。もちろん、いい方向に変わったのである。

6年ほど前の写真と最近の写真とを比べれば、当然、外見は6年前の写真の方が二人とも若い。でも、雰囲気で言えば、最近の写真のほうが若くて、軽やかなのだ。肌の感じとかは最近のほうが老けてるんだけど、雰囲気が断然6年前より若くて軽やかになってるので、奇妙な感じだ。特に、目が違う。ひとってこんなに目が変わってしまうんだなって、改めて比較するとその歴然とした違いに自分で見てて驚く。6年前に撮った写真のわたしは、今よりも痩せてるし、見た目は若いし、当時だって自分で見てても悪くないじゃんぐらいに思ってたのに、今の自分が見ると、6年前のわたしの目からは虚無感が駄々漏れである。生きる意欲がないのは当時も悩みだったが、こんなに意欲の阻喪した力の無い目をしてたなんて、当時の自分は全く自覚がなかった。マイティさんも微笑んで写ってるのに、なぜか雰囲気からそこはかとない哀しみが漂っていて、二人で写ってる写真は、これから心中でもするんですかというぐらい、このカップルに未来も希望も無い感じがするのだ。よかった心中してなくて(苦笑)。

最近撮った写真の二人からは、虚無感も哀しみも消えていて、ゆったり穏やかで、自分で言うのも何だがイイ感じなんである。笑ってなくても、あたたかい微笑みがこぼれてくる感すらある。自画自賛が過ぎるか。でもそのくらいに印象が違っている。最近二人で写った写真は、幸いなことに未来も希望もある明るいカップルに見えるのだ。もちろん、現在のほうが生きる意欲もある。でもその意欲は聖霊から与えられてる意欲だ。展望もないのに、無駄に意欲だけはあるなんて、これから人生が始まるみたいだ(笑)。

目と声には、時に、その人が話していること、やっていること以上に物語るなにかがある。目も声も、どちらも心のありようを忠実に反映してしまうようだ。わたしはマイティさんに、肚から声が出てないっ、とよく言われたものだが、わたしの肚のセンターにブロックのように癒やされないものがどっかり居座ってたからだと思うし、マイティさんはハートにブロックがあったので、本心ではないところから言葉が出てくる感じで、でも当人はそれに自覚がないのだった。そういったことも声は伝えてしまう。

もう何年も赦ししかしてない生活で、潜在意識から途絶えることなく膨大に立ちのぼってくるダークなエネルギーを無防備に受けとめ、それが浄化されるよう聖霊に祈り続ける日々だったが、そろそろ次のステージに入ったと思う。それがどんなステージになるかもわからないのに、一番しんどいところは通り抜けられて、今後はもっと明るくなってくるんじゃないかと思えてる。赦しなんて、いくらやってもカタチにならないよねって思ってたのに、写真を見比べてみたら、自分たちの目、顔、表情にくっきりとその成果が現れてて、カタチにもなってたねって、マイティさんと二人で達成感をかみしめた。まだ先は長くとも、歩んできた方向性は間違ってなかったと思えるのはありがたく、うれしいのだった。

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