とりあえず聞いてみる

『このことを思い出しながら、残りの練習時間は、の計画が私たちに開示されるようにに願うことに捧げよう。きわめて具体的に、次のようにに尋ねる。

私が何をすることをお望みですか。
私がどこに行くことをお望みですか。
私が誰に何を言うことをお望みですか。

練習時間の残りは、完全ににゆだね、あなたの救済のためのの計画において、あなたが何をする必要があるかを教えてもらいなさい。神の声を聞こうとするあなたの意欲に応じて、神はあなたに答えてくれるだろう。聞くことを拒んではならない。あなたがこの演習を行っているという事実そのものが、あなたには聞きたいという意欲があることを証明している。からの答えを受け取る権利を手に入れるには、それだけで充分である。(奇跡講座ワークブック編 レッスン71 第9段落)』

明らかに行動の導きを求めるよう指示している文章である。蒼い本の目的が、この世界(=幻想)にではなく、神を求めることにあるという大前提を見失うと、途端に誤読され始める文章でもあるが、それでも、行動の導きを求めることが即座に結果(=幻想)を求める自我の思考だと断定するのは、聖霊の声・導きを狭く解釈しすぎることになる、そうこのレッスン71から言えるのではないかと思う。蒼い本では、肉体を聖霊の目的に沿って使用する、というテーマがあり、肉体の使用、つまり行動が聖霊の目的に利用されるにあたり、聖霊の指示は当然与えられる。聖霊は幻想を使って、わたしたちの知覚が訂正されるよう誘導する。それは蒼い本じたいが幻想の一部であるのと同様に、肉体も幻想であり、その幻想を使って聖霊はわたしたちの心を導くからだ(T-14.VI.5.3:あなたが作り出したすべてのものごとには、聖霊自らの至聖なる目的のために使える用途がある)。行動は思考の自動的帰結だが、行動であれなんであれ一旦聖霊に聞いてみる、祈る、という姿勢をはさみこむことは必要だと思う。肉体の使用については親交(コミュニケーション)や機能(function)のテーマにつながってくるが、それはまた別の機会に。

声(11)で「聖霊は行動を導くのか」というテーマを提示して、「たぶん、つづく」と書いてしまった手前、つづきについて考えていた。だいたい論点は列挙できたものの、しっくりこない。無理に書いてしまうと、煩雑な長文になるだけで、テーマがぼやけてしまいそうだ。こういうとき、わたしは聖霊にとりあえず聞いてみる。当然、行動について尋ねていることになる。声(11)では理屈っぽく書いたが、普段わたしは、行動についてであれ何であれ、聖霊にガンガン聞いている。はっきりと確信をもって答えが受け取れたと感じることもあるし、そうでないこともある。でも大事なのは、どんなことでもとりあえず聞く、という姿勢を一旦はさみこむことだと思ってる。そして、聞き続けながら内観し、必要なら赦しの手続きに入る。声(11)のつづきとして、現時点のわたしが経験の裏付けをもって言えることは、『聖霊には、何でもとりあえず聞いてみる』ということだけだった。終わり(笑)。

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