心と筋肉

この9月の終わりにぎっくり腰のような症状になった。3日ほどは満足に動けず、その後も痛み、違和感が1ヶ月近く残り続けた。ようやく、まだ少し軽い違和感は残るものの、普通に動かしても大丈夫な状態にまで今は戻った。ぎっくり腰はいままで2度ほどなったことがあるのだが、どちらも10日ほどで通常に戻り、今回のように完治にここまで時間はかからなかった。そもそも今回のぎっくり腰「のような」状態に、思い当たるきっかけがなかった。普通は、強くひねってしまったりする瞬間に心当たりがあるのだが、今回はそれがなく、朝起きたら、なんか腰回りが変な感じだなと思っていたら、徐々にぎっくり腰と同じ症状になっていって、痛みで動けなくなってしまったのだ。

ところで、わたしは左肩が右肩よりも少し上がっている。普通に直立姿勢をとって鏡を見ても、左肩が右肩より上がっていて、両肩が水平にならない。無理に水平にしようとしたら、意識しないといけないので、少し筋肉がひきつれる感じになる。これはたぶん小学生くらいのときからすでにそうだったと思う。学校で、成長期の骨格の歪みを調査するためなのか、クラス全員、ひとりずつ上半身裸で背中の写真を撮影することがあった。たしかその頃にはすでに肩は少しズレてた気がする。もしかしたら、中学生の時に重いかばんをいつも左腕でもっていたせいかもしれないが、ともかくずい分昔から肩はズレていた。

証明写真をとっても微妙に肩がズレて写ってしまうので、水平になるよう意識するのを忘れているとズレたまま写ってしまう。自動車の免許を取るとき、実車教習中にハンドルに手を置く際、タイヤがまっすぐ前を向いてるように、両手の高さを揃えて置きなさいと何度も注意されたのだが、自分でやってるつもりなのにどうしても水平になっていないらしかった。途中であっと気づいて、自分は肩がズレてるから、ハンドルを握るときも、自然に片方があがっているようなのだった。そのことを教官に説明し、教習カルテ(?)に貼付してる証明写真を見てもらったら、やっぱり肩があがったまま写っていた。

ところがである。今回、1ヶ月の腰痛を経た後に気づいたのだが、両肩が水平になっているのである。気のせいかと思って何度も確認するのだが、普通に直立してるだけで、ほぼ両肩が水平になっている。上がりがちな左肩と高さを同じにするために、意識して右肩を上げるようなことをしなくても、ほぼ両肩が同じ高さになってる。つい最近まで肩はズレたままなのを確認してるので、どうも今回のぎっくり腰のような症状の後、両肩が水平になってしまったらしいのだ。

ここからは推論なのだが、ぎっくり腰のような症状なのにきっかけが思い当たらなかったのは、もしかして「癒し」が進んだことが原因なのでは、ということ。トラウマ的な感情は筋肉にためこまれるとか、筋肉をかためて感情を抑えこむ、というような説を聞いたことがある。TREという筋肉の振動でトラウマ感情を解放するというテクニックもあるくらいだから、そういう説は実際妥当してるのかもしれない。長い時間かけて癒しを続けていたら、深部のものすごくこわばっていた筋肉がほぐれてしまい、それに伴って腰回り全体の筋肉と骨格が調整しなおすことになって、その過程でぎっくりと似た症状まで誘発してしまったのではないかと。最初の3日間の、ぎっくり腰と同様の激痛が走る時期が過ぎた後、腰回りが、ぎっくり腰の痛みというより、筋肉痛の炎症に近い疲労感のようなものがずーっととれないなというのが、今まで体験したぎっくり腰の回復過程の感じと違うところだった。腰回りの筋肉全体が本来の位置に調整していくにあたり、いままであまり使われてなかった筋肉が働き始めて、筋肉痛に似たような感覚が長く続いたんじゃないだろうか。

もちろん、全部仮説にすぎない。事実は、腰痛後、両肩が水平になったということだけだ。それじたい、ありがたいことなのだが。肩がずれるのは、骨盤のゆがみが背骨を伝わって肩のズレに表れてたせいかもしれない。骨盤のゆがみは左足の膝関節に右足よりも大きな負荷がかかる原因でもあったらしく、20代はよくランニングしていたのに、左膝が痛むようになり、あまり激しく走れなくなってしまった。歩く分には全く問題ないのだが。もう激しくランニングすることはないかもしれないが、膝に負担がかからなくなるならありがたい話だ。今回の腰痛の直前、なぜだか、左の股関節と大腿骨の接続に空隙があるような、奇妙な感覚がしたのだが、そのときすでに調整は始まっていたのかもしれない。

癒しが進んだことが腰痛及び、両肩の水平化の原因だったのではないか。Sinに属するようなトラウマ的な感情は、筋肉及び骨格のバランスにまで影響するのではないか、という仮説で、今回の腰痛を考えてみた。蒼い本では肉体は幻想だし、特に誇張しなければならない話でもないのだが、体全体のバランスがかわってしまうなんて大きなことの原因が思い当たらないので、それが癒しのせいだったら面白いなと、あれこれ推測をめぐらしたのだった。

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