寝てる間に

以前も書いた気がするけど、癒しと天体(月)の影響について。6、7年ほど前からか、あるいはもっと前からか、月に一度、異様にだるくて、身体に力が入らなくなる日が1日か2日あるのに気づいた。もう、薬盛られたか、というぐらい強制昏睡させられる感じで、会社勤めしてた時もほとんど仕事にならなくて、可能ならば会社も休んで寝てるしかなかったこともある。なんかの病気かとも思ったけど、1日か2日すると何事もなかったみたいに戻るので、そのまま放っておいた。けれど、それが段々、毎月繰り返されるようになって、これってなんか周期的じゃないか?と思い始めて、まるで生理みたいだと思った。男だけど。生理との連想でなんの気なしに月齢を見てたら、どうもいつも脱力昏睡してるのが、新月の1日か2日前なんじゃないかということに気付き始めた。それから、なんかだるくて異様に眠くなると、もしかして新月?と疑って調べると、やはりそうだったということが繰り返された。

それからは意識的に新月が近づくと警戒するようになった。蒼い本へのコミットが強化されて、生活が赦し、癒しで一色になると、新月の時は、特に、潜在意識からどどーっとダークな感情、フィーリングが溢れてくるのがわかった。以前は、倦怠感、脱力感という自覚症状だったけれど、SinとGuiltの投影回収・解除という赦しパターンが確立されてからは、潜在意識からあふれてくるのはSin由来の感情エネルギーなんだとはっきりした。以前、脱力感や倦怠感として自覚されてたのは、あふれて解放されようとしてるSin由来の感情エネルギーが、積層化したGuiltに属する信念、想念によって恒常的に抑圧されていたせいで、行き場を失って脱力感、倦怠感として体験されてたんじゃないかと推測した。

こういう事象を「新月アタック」と勝手に呼んで警戒すると同時に、普段より多くSinとGuiltの回収解除ができて、癒しが加速するので、ボーナスステージとして活用するべく、意識的に新月に臨むようになった。新月アタックにまだ自覚的でなかった頃は、高頻度で、この日に酒を痛飲していることにも気づいた。脱力と倦怠で何もできないけど、なんかムシャクシャ、イライラするので酒飲んで寝てたのだ。ダメな感じだ(笑)。でも、今振り返ると、Sinのダークエネルギーが溢れてくるのをごまかすために、無自覚に酒量が増えてたんだと思う。無自覚って怖い。エゴっていうのは、気付かれないように、真に癒やされるのを妨げる方向に誘導するのだ。むしゃくしゃするからといって、無自覚にこのエネルギーを他人にぶつけてたら、トラブルも起こりやすくなりそうだけど、癒されるより、トラブルになる方がエゴにはましなのだ。満月に犯罪率が高くなるって聞いたことがある気がするけど、新月も結構トラブルとか多いんじゃないかと想像した。ちなみに、わたし自身が満月の影響を受けたと思われる時は年に数回あるかないかで、あまり関連性は確認できない。

当初は、脱力感と倦怠感でただ寝るだけだったけど、癒しの機会、潜在意識からSinに属する感情エネルギーが浮上してくる機会だとわかってから、新月前は、起きてるときは回収解除手続きを踏み、それを十分やってから一晩寝るとすごく風通しよくなる、はっきり軽くなって、なにかが抜けていったのがわかる。睡眠中も癒しのために活用できるようになったのだ。睡眠ヒーリング。睡眠中に何が起こってるのかは知らないけど。実際、赦しとか癒しとかって、自分で何かをやる作業というより、自分で無自覚にやってたことをやめることで、癒しの奔流をせき止めないようにする作業で、たぶん、心はもともとほっとくと癒やされる傾向性をもってて、ただそれは不快さや恐怖感が潜在意識の奥からせりあがってくることでもあるので、反射的にそれを感じないでいるためにまた押し込んでしまい、抑圧してしまって癒やされないのが日常なのだと思う。

睡眠関連でもうひとつ。夜寝ている時に見る夢、あれはかなりの頻度で、いま懸案になっている癒しのテーマの象徴だ。むかしは、ただ前日にあったことの記憶の断片が夢になってたりしたけど、赦し、癒しが本格的になってからは、朝起きてはっきり覚えてるような夢は大抵、その時点で処理すべき感情エネルギーの象徴だったりするのだ。睡眠中の夢も、新月同様、癒やしのツールとして意識的に活用されることになった。

夢分析はフロイトさんだったかが有名だけど、わたしにそんな知識はない(夢占い、ってサイトにはお世話になったけど)。それでも、見た夢から喚起される感情、全体的な印象、フィーリングをたどっていくと、夢が語っている象徴的意味、適切な解釈が自然と明らかになっていく。解釈が「なんかしっくりくる」ことのほうが大事だと思う。この夢分析は、だんだん相棒マイティさんと日課のようになっていった。今日こんな夢みた、と、見た夢を開示しあいながら、それはこういうことなんじゃないか、と解釈していき、ああ、そうか!となって、いまフォーカスすべき感情エネルギーへとピントが合うのだ。夢のイメージを頼りに、はっきりピントを合わせて、引き受け、感じ取り、聖霊に委ねる機会とするわけだ。

癒しについては、蒼い本を読んだり、赦しの手続きを踏んだりと、自分が意識的にやる部分もあるけれど、自分は関知してないのに、勝手に進行するプロセスに負う部分が多い。こういうのは蒼い本なら「聖霊がやってくれている」と言うのが習わしだけど、自分が意識的にやってるつもりの部分の役割っていうのは、癒しを自分で引き起こすというより、癒しが起こるのを邪魔しないでいるための体制づくりだったりする。癒しのテーマは基本的に向こうからやってくる感じだし、こっちでは何もすることがない。ただ、不快な感情エネルギーがやってきたときに、正直かつ無防備に受けとめ、感じて、明け渡すことができるかどうかの注意力と決意だけが必要で。ダークな感情エネルギーの不快さが、全身を覆って、文字通り死にたくなるようなときや恐怖でガクガク震えるようなときは、もう祈ってやり過ごすことぐらいしかできないわけで、ますます自分でやることがない。いかにして、自分でコントロールしようと画策しないで、無防備にしていられるか、そのための聖霊への信頼であり、祈りでもあると思う。

ちなみに、近頃は潜在意識のダークエネルギー埋蔵量も随分減ってきたのか、新月になっても影響が軽微に感じられる月が増えてきた。一時は一生これが続くのかと気が滅入ったりしたけど、一応、終着点はあるみたいなので今はすこし安心している。

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