二者択一

いずれ辞めなければとは思っていたが、もともと自己都合で会社を辞められる性格ではなかった。わたしのコアGuiltのひとつは「忠誠・隷属」Guiltだからだ。けれど、ひょんなことから「今しか、自分に辞められるタイミングはない」という出来事がやってきて、あれよあれよという間に無職になってしまった。趣味でやっていた株式投資のおかげで、当面はそれで食いつなぎながら、次の展開を考えるかというつもりだった。もうひとつのコアGuiltである「わかる」Guiltゆえ、企業の財務情報や経済統計、相場の値動きなどを見て投資をするのが当時はまだ楽しかった。ところがそれから1年ほどもしないうちに、自分の心が再び渇き始めているのがわかった。正直焦った。好きなことでお金を稼いでいても心が渇いていってしまう。今は「わかる」Guiltと呼んで半ば悪者扱いだが、ずっと自分の得意な能力で、自己イメージを形成してもいた能力が、自分によろこびをもたらさなくなってしまったことはボディーブローのように効いてきた。今更、青い鳥探しをする年齢でもない。もともと小さな頃から、世界じたいに興味が薄かったし。だから能動的に打てる手がもう自分には失くなってしまったように感じられた。そして、株すらやめて、自己資金を食いつぶしながら、霊的な取り組みだけにフォーカスしていった。

蒼い本の実践、赦しの機会という観点からすれば、こんなふうに社会から隔絶してしまうのは後退に思える。いろんな人と働く職場、取引先との関係など、ままならないことやイレギュラーなことが日々起こる職場という環境は、赦しの機会がたくさんあるというのが一般的だし、わたしもそう思う。ただ、今振り返ってわかるのは、自分の「忠誠・隷属」Guiltという特徴のため、組織に属しているがゆえにGuiltが隠れてしまう、赦しがある時点から進まなくなってしまうことだった。孤独じたいはそれほどつらくないが、組織に属していない、というのはそれだけでわたしには不安だし、屈辱的に感じてしまう感性なので、この宙ぶらりん状態に踏みとどまっているだけで、赦しの機会がとめどなく押し寄せてくるのだった。

わたしが会社を辞めたのとちょうど同じ頃、すでにお付き合いが始まっていたマイティさんも、勤めていた会社を体調不良のために辞めた。彼女はワーカホリックだったので、仕事を手放すのは、わたしとは全く違う意味合いで、アイデンティティの喪失体験だったようだ。彼女は身体の調子が戻ればすぐにでも社会復帰するつもりだったのだが、あとからあとから肉体の不調、病気が判明して、実際には療養生活の始まりになってしまった。肉体に強くアイデンティティのある人は、霊的な「時限装置」のスイッチが入ると、病気という形で、従来無自覚に使ってきたエゴ的動機を強制的に使えなくさせられてしまうところがあるのかもしれない。アスリートだったのに、覚醒してから、肉体トレーニング始める度に、不可解な病気で臥せってしまったアジャシャンティのことが思い出されるけれど、わりとこの手の話はよく目にした。

退職後、2年ぐらいして、いい加減社会復帰しようと思い始めたのだけれど、自分の「忠誠・隷属」Guiltを使って行動を始めることに、どうしてもブレーキがかかるのだった。というよりも、生存・仕事に関わることで、「忠誠・隷属」Guiltを使わずに自分は能動的な行動をそもそも始められない、ということに愕然とした。まるで、自分がプログラムをなぞることしかできないロボットのような感覚にとらわれた。マイティさんとは職業観が全く違ったので、わたしの動機に潜む歪みについて「それはかなり変だ」と何度も指摘を受けた。おかしいのはわかるけど、それをどう直していいのか、どうしたらそうじゃない行動ができるのか、全くわからないのだ。

細かく自分語りしだすときりがないのだが、この5年間でもっとも大きな決断だったと思えるのは、「社会復帰」vs「贖罪・聖霊の導き」という二者択一だった。自分が自発的に社会復帰を試みると、自動的に「忠誠・隷属」Guiltにスイッチが入ってしまい、それがいずれ以前と同じ閉塞をもたらすのは目に見えていた。その一方、「贖罪・聖霊の導き」なんて、とらえどころのないものに生活すべて賭けてしまうのは、どう考えても非現実的に思えた。Guiltで生き続けることはもうできない、ということは薄々わかっていたが、もうひとつの選択肢である「贖罪・聖霊」はあまりにあやふやなものに思えた。どちらが、ほんとうに自分を生かす道なのか。迷った。世間的な体裁を整えたところで、生きる意欲をすっかり失ってしまう閉塞がやってくるのでは、それが果たして「現実的」なことなのか。とりあえずは、Guiltを解除するしか、自分には生きる道はないんじゃないか。そうやって、贖罪・聖霊を全面的に選ぶに至った。このとき、脳裏に「背・水・の・陣!」という言葉がバーンと浮かんだ。完全に退路を断ってしまった感覚だった。なんの展望もないのに、「聖霊」だけが頼りになってしまったのだ。これ以降、赦し・癒し、それに伴う感情エネルギー処理に更にブーストがかかっていった。

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