変化球

よく「赦し方」が話題になったりする。諸先生方がいろいろ提示してくれるし、マニュアルやテクニックも入門時には基本的な「型」として必要ではある。けれど、ちょっと実践が進めば、赦しにマニュアルやテクニックなんて存在しないんだってことがわかってくる。なんでかっていうと、赦せないからだ(笑)。そうやって自分で試行錯誤しながら、ちょっとずつちょっとずつ手応えのある勝ちパターンの赦し方が形成されてくるのだけれど、でも、それは経験とともに身につけられたものであって、言葉でマニュアル的、テクニック的に表現したところで、読んだ人がすぐに自分に適用できるかというと、多分そういうものではない。

最近相棒のマイティさんがブログで言及していたエニアグラム、あれはほんとうにすごくて、いままで関わった来たひとの不可解な言動やら態度も、エニアグラムに照らすと急に合点がいく不思議な理論だ。ひとのパーソナリティというのは自分以外のタイプだと思いもよらないような思考パターン、感受性のパターンがあって、当然、それぞれのパーソナリティタイプにしっくりくる赦し方というのがあるのだと想像される。だから唯一これが正しい赦し方なんてものは、やっぱりないんじゃないかという気がする。そのあたりは聖霊とご相談の上で、ということである。

それに赦し方がどうのこうのといいながら、ほんとは最初から赦す気なんてないことだってままあるのだ。特に具体的な誰かや実際の問題などないのに、内側から不快な感情や想念が湧きあがってくると、いったい何について赦しているのかすらわからないこともあり、でもそんな感情や想念を放っておくと、わざわざ赦しがたい人物をネットで探しまわったり、赦しがたい状況に進んで首をつっこみに行きそうにもなる。こうなってくると、誰かや出来事が赦せないというより、「赦せない」ことを体験したいがために誰かや出来事を見つけ出すみたいになる。「あら探し」なんて言葉があるけれど、赦さないことの口実を積極的に探す姿勢を表してる言葉だ。投影し続けていたいし、分離し続けていたい、というのがホントのところなのだろう。

先日紹介した小出さんて方の文章に「ゆるしかた」というのがあった。ちなみに小出さんは仏教がバックグランドの方のようです。

http://koideyoko.com/archives/117
これに加えてJune 07, 2014の「理想の相手」も。
http://koideyoko.com/archives/591

ここに書かれていることは、抑圧が激しい人や犠牲を美化して進んで犠牲的になってしまう傾向が強い人には向いてないとは思うけれど、いまのわたしにはなにか訴えるものがある。ゆるしきれてない、わだかまりが残っている人のしあわせを祈るというのは、かなり不自然なことであり、我慢してやるようなことではない。けれど、いわゆる投影の回収・解除という観点からすると、わだかまりのある人のしあわせを祈ると、ぐわーっと投影が回収され始める感触がある。別にわだかまりもないし、ゆるさなきゃと思ってない相手ですら、相手のしあわせを祈ろうとすると、なぜかためらいが生じたりして、そこには全く気づきもしなかったSinとGuiltの投影があるのがわかったりする。なんだこれは。なんかとても不思議な感じだが、明らかに体験したことのない手応えがある。ただ漠然と投影回収してるよりも、ターボがかかったみたいに回収が加速する感じだ。それにしても、わたしはこんなにひとにしあわせになってもらいたくなかったとは(苦笑)。ひとのしあわせを祈ることで、自分がどれだけまだひとに罪を投影しているかを根こそぎ照らし出してくれる。投影がわかればあとは聖霊に任すだけだ。ひとのしあわせを祈ることで、自分が癒される、不思議な回路。誰にも勧められる方法ではないかもしれないけれど、いまのわたしにはちょっと探求しがいがある方法だ。

広告