助かったこと

小学校にあがるまではアトピーで身体がかゆかったのですが、小学校にあがって気がついたらかゆくなくなっていました。けれどそれから19歳ぐらいになって、再び、手の指が荒れるようになっていきました。最初は片手の薬指だけだったのに、だんだんと広がっていって、しまいには指のほとんどが荒れていきました。皮膚の一番上の層が、再生しなくなるのです。手湿疹ていうのでしょうか。指の関節ごとにぱっくり皮膚が裂けてしまい、いつもうっすら血がにじんでしまうので、指のほとんどの関節に絆創膏を巻いて、傷に沁みないようにしていました。それでもトイレに行って手を洗うと沁みるし、日に何度も絆創膏を交換しないと不潔なので、絆創膏もいつも何箱もまとめ買いしていました。ひと目にも見苦しいですし、ひどい時は手全体が真っ赤に腫れてしまうので、うんざりしてしまいます。そして、しまいに手だけではなく、周期的に、目のまわりも真っ赤に腫れるようになってしまい、目が赤の隈取りでパンダみたいになるときもありました。薬は最初は効いていたのですが、段々効かなくなって、一旦切らすと前よりひどくなってしまうので薬を塗るのもやめて、専ら絆創膏に頼るだけになりました。それが15年以上続き、もう持病なんだろうと諦めていました。

ところが、意識的に赦し、エゴの解体、心の癒しを始めて2年ほどしたあたりから、手が荒れなくなっているのに気が付きました。例年、6月頃に荒れ始めて、1年の半分かそれ以上は皮膚がひどい状態だったのですが、それが起こらないのです。荒れなくなってもう何年か経つので、完治したと見ていいと思います。特に新しい治療を施したとかではないので、思い当たるのは心のレベルで癒しにコミットし始めたことぐらいでした。もちろん、加齢によって自然に治癒することもあるのでしょうが、多分、心の癒しのおかげだと自分では思っています。というのは、同じ頃、飲酒の習慣についても変化があったからです。

成人してお酒を飲むようになって、最初は美味しいと思って飲んでいたのですが、段々と酔うために飲むことが多くなりました。仕事のストレスとかもあったと思うのですが、気がついたら酒売り場の前に立っていて、気がついたら買い物かごにお酒が入ってるという状態は、自分でもまずいなあと思っていました。人に迷惑かけるということはほぼなかったと思いますが、週にお酒を飲まない日が1日か2日あるかないかなので、健康によくないのは明らかです。年1回の健康診断でも当然そのような数値が出てしまうのですが、どうしても飲むのを減らせない。意識的にセーブしようとするのですが、ちょっとがんばって断酒期間を設けても、断酒明けすると取り戻すように飲んでしまって元の木阿弥です。実際、飲んで1時間ほどは気分はよくても、あとは疲れるだけですし、時間も有効に使えずぼんやりして寝るだけになってしまいます。飲むと顔が赤くなるタイプなので、アルコール分解酵素を強力にもってるわけでもなく、ほんとはあまり飲まないほうがいい体質なのだと思います。でもわかっちゃいるけどやめられない。生活にはそれほど支障をきたしてなかったものの、ほぼアル中ですね。

でも、飲酒の習慣も、癒しが進むに従って変化しました。さすがに完全禁酒には至ってませんが、ずいぶんと酒量は減りました。週に1、2日飲まないだけであとは毎日飲んでたのに、今は、週に1、2日飲むかのまないか、あとは飲まずに過ごせるように逆転しました。一番大きいのは、お店に買い物に行っても、今日は飲まないでおこう、と思ったら、そのまま酒売り場を通過できることです。以前だったら、酒はセーブしようと思いながら、酒売り場の前に立ち尽くし、飲むか、飲むまいか、と葛藤していたものです。で、お店を一周してはまた酒売り場の前に立ち止まり、再び逡巡するのです。こうして書いて振り返ると、結構重症ですね(苦笑)。

癒しが進んで変わったなと思うのは、焦がれるように、渇望するように頭のなかに「酒!酒!酒!」って思い浮かばなくなったことです。強い渇望感がはっきりあったのですが、いまはそういうのはほとんど消えました。このブログでは、SinとGuiltという言葉を使ってきましたが、Sin由来の感情エネルギーの不快さを、全く無意識のうちにお酒を飲んで酔っ払うことでごまかそうとしてたんだなということは、いまはよくわかります。ごまかさないといけないエネルギーが癒やされて消えたら、必然的にお酒を渇望するように飲んで、酔っ払う必要もなくなってしまったんだと思います。手湿疹にしてもアルコールにしてもそうですが、癒しによるこれらの変化はずいぶん助かったなーって思います。癒しはお財布にもやさしいですね。

ただ注意が必要なのは、病気が治る治らないを、赦しが進展しているかどうかの目安にはしないほうがいいということです。これには蒼い本の原理に照らしてもいくつかの理由があるのですが、実際問題として、病気治癒を目的として赦しをしても、そう思った通りに病気が治るわけではなく、だからといって赦しが無駄になっているわけではないからです。けれど治癒を目安にしてると、治らないわ、赦しもうまく行ってないんじゃないかと疑心暗鬼になるわで、萎えること2倍です。病気が治ったりするのはあくまで副産物として、赦しはあくまで神へ至る道として、平安の向上を目安にしたほうが無難だと思います。

蒼い本には病気や健康のことが結構な頻度で言及されているので、わたしの経験談として書いてみました。癒しの目的が病気治癒やアル中克服というわけでもなかったので、あえて改めてこのブログで書こうと思わなかったのですが、なぜか今日は書いてみようと思い立ったのでした。

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