マンゴーパフェの罠

(前の日記のつづき)

えー。ここで占いかあ。まあ、導きに従うってお伊勢さんでも誓いを立ててきたし、仕方ないのでスマホで近くに占いをやってるところがないか検索を始める。出てくる占い屋。あー、めいっぱい胡散臭い。だいたいタロットカード系が多くて、あまり手相観をやってる人がいない。とりあえず、そのパフェを食べてるお店から歩いて1キロぐらいのところに占い屋がみつかった。近いですね、わりと。そんなわたしの様子をマイティさんは見ていたが、おなかの調子が悪いらしくトイレに行ってしまった。わたしはひとりになって、改めてこの占い屋に行けってことでいいですか?と聖霊にたずねてみる。すると

「・・わたしが導く」

みたいなインスピレーションがきた気がした。正直、これは聖霊の声だったのかどうか自信がない。わたしが占い屋にあまり乗り気じゃないので、自分で検索して徒歩1キロのところに占い屋が見つかったら、もう行かざるを得なくなってしまう。検索結果はなかったことにして、どうしても行かざるを得なければまた聖霊が具体的に導いてくれるだろう、という半ば逃げの論理からきた幻聴だったかもしれないからだ。

そうこうしているうちにマイティさんがトイレから戻ってきて言うのは「このビルの最上階で、なんか占いやってるらしいよ?」。トイレに行く途中に、そんな看板が出ていたらしいのだ。あー、そうなんだー、って冷静に受け止めてる自分と、なんかおかしなことが起こってないかこれは、と、ぞわっとしてる自分がいた。そもそもこのビルって占い目当てで来たんじゃなくて、甘いもの探しで来たんだよね、たしか。そりゃ聖霊の導きを意識しながら歩いては来たけれど、別に占いやってるビルを探してやってきたわけじゃない。おかしいよね、たまたま入ったビルの最上階に占い屋があるって。名古屋ってそういう土地柄なんでしょうか。すべてのビルの最上階には占い屋が常設されてる土地柄。

ここまできたら、とりあえず確認してくるしかないだろう。残っていたパフェをかきこんで、マイティさんとエスカレーターで最上階へと向かった。こういうとき、エスカレーターのゆっくりと上階が近づいてくる感じはスリリングさを無駄に演出しますね、まったく。エスカレーターまで聖霊に加担してる気がしてきた。そしていよいよ最上階、占いをやってるブースみたいなところに目が行く。その看板には

「手相」

完全にハメられました、聖霊に。検索してもなかなか見つからなかった手相占い、それがたまたま入ったビルの最上階で店を構えている。店の前に来て価格を見てもリーズナブルなものだったし、もうここまできたら観念するしかないかと占いしてもらうことに。出てきたのはわりと年配のおばさん。何の変哲もないおばさんだが、すでに聖霊の一味に見えてしまう。

両手のひらを出してくださいと、言われるがままにすると、おばさんは開口一番「まあ!あなたはお母様にたいへん愛されていますね!」。その「愛」が問題だったのだと、前日の明け方に気づいたばかりである。色々占うことがあろうに、なんで開口一番、いまわたしに最もホットなテーマを突いてくるのか。完全に聖霊の一味である。手下である。きょうだいでもあるのか。忘れるところだった。

そのあとに続く占いは、総じて応援、励ましのような言葉のオンパレードであり、あまりに良いことばかり言われてる気がして、これってリップサービスとかじゃないですよね?と言うと、そんなことしたら仕事としてお金を頂けません、とぴしゃり。占いは、手相だけでなく、算命学的な観点からも続いた。生年月日だけを伝えて占うのである。指摘はいちいち当たっている。この占いおばさん自身は、わりと素朴な価値観をもってる普通の人なのが伝わってきたけれど、その占い手法にはやはり一定の精度があるみたいだ。蒼い本でもscript is written(シナリオはすでに決まっている)というフレーズがあるし、決まっているものを読み上げるのが占いなのかもしれない。マイティさんも占ってもらっていたが、やはりこちらもこまごまとしたことまで言い当てられてしまった。

占い屋をあとにして、振り返っての印象は、あのおばさんの口を借りて聖霊がしゃべっていた、ということだった。なんで聖霊が直接伝えればいいものを、そんなもってまわったことをするのかというと、わたし自身がまだ完全に聖霊を確信していないことと、母との関係性における抑圧、投影が遮断フィルターとなってしまい、聖霊の励ましの言葉を素直に受け取れずに、無意識に却下してしまうからだろうと思った。また今回の気づきが大きな区切りになることを演出するために、ひとつのイベントとして聖霊が用意してくれたのかもしれないとも思った。あの占い屋にたどりつく過程じたいがちょっと普通ではなかったので、そのことじたいが導かれていることをわたしに印象づけるものだった。また、もし最初から「占い」のために導かれているとわたしがわかっていると、どうしても抵抗が生じて導きに従えない可能性があり、それを見越して、パフェで釣っておいて、目当てのビルにたどりつかせ、おもむろにこのビルに占いあるからね、と知らせたとも考えられ、もう完全にこちらの反応パターンまで見越されたうえでの導きというわけだ。そして、聖霊が伝えたかったことを、占いおばさんという生身の肉体の口を借りて力説されてしまった。おもいっきり背中を押されて励まされたのだが、いまもって現実味の感じられない展開だった。私淑するACIM教師のデヴィッド・ホフマイスターさんはよく、聖霊に導かれて生きる人生は段々とそれじたいがおとぎ話のような様相を帯びてくる、と何度も言うのだけれど、へー、そうなんだー、とは思っても、実際それがどういうことなのか想像がつくはずもなく、そうなったらいいなあとぼんやり思うだけだった。けれど、実際におとぎ話めいた展開に遭遇するとドギマギしてしまうものだ。これも慣れなのかもしれないが、今後が楽しみのような、ドキドキこわいような、今はそんな複雑な気分なのだった。

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