お伊勢参り

マイティさんとお伊勢参りをしてきた。当初は熱海に行くつもりだったけれど、マイティさんが直前に体調を崩してキャンセル。仕切りなおして日程を組むときに、マイティさんが伊勢神宮に行ってみたい気がする、と提案。実は、まだ熱海の線で予定が固まっていた頃、寝ている時に旅行の相談をしている夢をみて、「なんだ~、名古屋でよかったんじゃん」って言ってる内容の夢を見た。起きてから、今回は名古屋の線はないから、って思いながら、なんでこんな夢見たんだろうと訝っていた。でも、最終的には伊勢に行くことになり、宿は名古屋に。・・なんだ~、名古屋でよかったんじゃん(驚)。普段、マイティさんは夢でアドバイス、励まし、予知夢とかがやたらある人なので驚かないが、わたしは予知夢の類いはまずないので、今回見た夢は少し面白かった。

宿泊先を名古屋に決めてから、旅行前に何度か唐突にピコーンと「・・占い」というインスピレーションがきていた。しかも同時に「見てもらうなら手相でよろしく」みたいなニュアンスも感じた。聖霊なんて言ってるくらいだから世の中に不思議なことがあるのは認めるが、だからといってわたしは占いに頼るタイプでは全くない。そんなものにお金を払うくらいなら美味しいものを食べたほうがずっといいって思う方だ。まあ、なにかの拍子に目の前に占い屋でも現れたら、そのとき考えればいいやと思って忘れていた。

7年前にふと思いついて伊勢神宮にお参りしたことがあったので、今回は2度めである。7年後にまさか自分の人生が蒼い本に浸かって現在のようになっているとはまだ想像もしなかった頃だ。別にパワースポットめぐりの趣味があるわけではないが、神社のもつ凛として、厳かな雰囲気は身を浸していると心地いい。それに伊勢神宮ともなるとやはり格別な心境になってしまう。

伊勢に向かう前日から名古屋に入ったのだけれど、夜中に寝苦しかったので、むくっと起き上がり、読みかけだった本の続きを読み始めた。マイティさんは寝ていたので、わたしはホテルのユニットバスのトイレに座って本を読んだ。こんな本である→ www.amazon.co.jp/gp/product/4434194321 。この著者の仮説には拒否反応の出る人もいると思うが、自責タイプで、思考偏重型の人にはぴたっと来る本かもしれない。この本の後半は、聖霊という言葉こそ出てこないものの、聖霊の声の聞き方、判別法の具体的アドバイスでてんこ盛りだった。夜中に起きて読み始めたのはこの後半部分だったので、読むのをやめられずに一気に最後まで読んでしまい、翌日に伊勢まで2時間ほどの旅程があるというのに、もう明け方近くになってしまっていた。

実はこの本を読んでいる最中に、非常に大きな気づきが起こった。それはすでに癒しが終わったと思っていた母との関係性についてのものだった。そして癒しが終わっているどころか、この母との関係における投影こそが実は黒幕の大物であったがゆえに、巧妙な目眩ましを始終はりめぐらされ続けていて、そこに癒やされるべきものがあると自覚されないまま今に至っていたとわかった。気づきによって投影の回収が始まり、わたしはユニットバスのなかで唸っていた。こんなに気づきにくくさせるメカニズムってアリなのかと、エゴというものの老獪さに呆然とし、感心すらしていた。上記の本の、クセのある仮説がうまくわたしに作用したから起こった気づきであり、癒しに必要なものはどんなものでも与えられるなあと、ありがたく思った。

伊勢訪問の当日は、二見興玉神社→外宮→内宮という順に参拝した。この日はずっと、明け方の気づきの衝撃がぐわんぐわんと増幅するように感じられており、この気づきはこれまで続いてきたゆるし、癒しの旅の、大きな区切りになるのが直観的にわかった。そうして夫婦岩のある二見興玉神社で手を合わせている最中、自然と胸が熱くなって、ここまでやってこれたことに感謝の気持ちがわいてきた。外宮、内宮では、今後は更にみこころのまま、導きに従って生きることの誓いを立てる気持ちで参拝した。昨年が式年遷宮の年だったので、社殿も真新しく、身の引き締まる想いだった。

参拝翌日は予定を入れておらず、伊勢訪問の疲れもあって特に観光をするわけでもなく、カラオケに行ったりして過ごしたのだが、そういったこともすべて、行動選択をいったん聖霊に照会しながら進めることを心がけた。カラオケが終わって、なにか甘いものを食べたくなったので、カラオケ屋を出て、そこでも内側に耳を済ませた。以前なら知らない街に来たらスマホのGPS地図を見ながら歩いたものだけれど、それほど宿からも離れていない場所だったし、迷ったらスマホの地図を見ればいいので、右に行くか左に行くか、それじたいもインスピレーションに従って歩いていった。単に行き当たりばったりの旅とも見えるかもしれない(笑)。そうやってふらふら歩きながら、あるビルの地下にやってきたところ、ちょうど美味しそうなパフェを出す店を見つけた。パフェってあまり普段食べないのだが、その日はなぜかパフェの気分だったのだ。ずらっと並ぶいろんな種類のパフェを眺めていて、チョコっぽいのがいいかなと思ったのだけれど、いやいや一応聖霊に聞いておこうと思い、聖霊照会すると「マンゴーパフェ」って言ってくる。

聖霊にたずねるのは、なにも美味しいものにありつけるって期待してるからじゃない。それじゃ、聖霊は体(てい)の良いコンシェルジュになってしまう。聖霊はあくまでゆるしへと、そして贖罪へと導くのであり、心の訂正が目的である。カタチのレベルでの良さげな状況に着地するために聖霊にたずねるわけではない。カタチはあくまで幻想であり、無なのだから。マンゴーパフェがどうやって心の訂正につながるかはわたしにはわからないが、そもそも贖罪への道についてわたしは何もわからないのである。新たなゆるしの機会へとマンゴーパフェが導くかもしれないし、奇跡を行う者として奇跡の必要な人のところへとマンゴーパフェが導くかもしれない。その場合、きっとチョコレートパフェではだめなのだ。チョコレートパフェが無難だろうというのは、わたしの過去の経験、記憶からくる安全パイでしかなく、安全地帯から出ないという意志表明でもあり、うっすらとした防衛でさえあるかもしれない。聖霊の声というのは、結構な頻度で、過去の経験や習慣から外れた行動を取らせるところがあると思う。

・・というわけで、マンゴーパフェにした。

すわり心地の良いソファにどっかり座ってパフェにありつくと、甘さが身体にしみわたっていく。おいしいです。特にゆるしの機会になったかどうかはわからないけど。そうやってリラックスしていると、ピコーンとインスピレーションがきた。

「・・占い」

えー。

                                             (つづく)

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